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| ◇シャンソン歌手 清水康子 記録 ★石井好子先生のCD・音源・記録手元にあるもの |
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石井好子 先生 |
| 悲しいお別れ・・・言葉も見つかりません・・・ 石井好子先生,ありがとうございました。 心から、ご冥福をお祈りしたいと思います。 清水康子 |
| ★動画ニュース |
![]() 石井好子さん |
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| 私は,こんなに素敵にシャンソンを愛し、日本のシャンソン界に貢献した方は、いらっしゃらないと思います。 ご生前に石井好子さんと交流のあった方々が、シャンソンファンの方、お世話になった方々、 大勢の方が石井好子先生に最後のお別れ、お祈り、献花。・・。Yasuko Shimizu |
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| 2010年7月21日 今日、夕方仕事の打ち合わせで外出中に、不安を感じていた知らせが・・・・・ 幹事の宮田さんからメール連絡が入りました。 信じられなくて、体がガタガタ震えるのを感じました。 「何かあったんでは・・」と気遣う相手に、席を外じ電話をかけさせて頂く失礼をお詫びして、 心当たりへ電話を数件。 やはり、本当でした。打合せを途中で失礼して、再度お目にかかる事を約束して 自宅にもどり、急いでテレビ・PCのスイッチを入れた。 ・・・FAXにも訃報のお知らせが入っていた。 |
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| 訃報:石井好子さん87歳=シャンソン歌手の草分け 石井好子さん=1999年5月撮影 シャンソン歌手の草分けとして、日本にシャンソンを定着させた石井好子(いしい・よしこ)さんが17日、肝不全のため死去した。87歳。葬儀は近親者で済ませた。お別れの会が8月26日午前11時半、東京都千代田区内幸町1の1の1の帝国ホテル本館3階「富士の間」で開かれる。喪主は弟公一郎(こういちろう)さん。 衆議院議長も務めた石井光次郎氏の次女として、東京・神田に生まれた。東京音楽学校(現・東京芸大)声楽科卒。1945年にジャズ歌手としてデビューし、50年に渡米。52年、パリに移り、シャンソン歌手として認められる。以来、日本のシャンソン界の第一人者としてステージに立ち続けてきた。 ハスキーな声に人生の哀歓をにじませ、「枯葉」などシャンソンの名曲を日本に定着させる。晩年は「かもめ」「暗い日曜日」など、親友でもあったダミアの歌を得意とした。 61年、音楽事務所を設立し、岸洋子、加藤登紀子さんらを育成。ベテランから若手までが総出演する、毎夏恒例のコンサート「パリ祭」のプロデュースを続けた。91年、日本シャンソン協会を設立して会長に就任。シャンソン界の振興に尽くした。 料理にまつわる著書「巴里(パリ)の空の下オムレツのにおいは流れる」(63年、暮しの手帖社)で日本エッセイストクラブ賞を受賞。ラジオ番組のDJなど幅広く活躍し、フランスの文化の香りを日本に伝えた。87年紫綬褒章、92年、仏芸術文化勲章コマンドールを受章。今年3月、同協会長を退任。芦野宏さんを会長とする新体制が、発足したばかりだった。 毎日新聞 2010年7月21日 19時30分(最終更新 7月21日 22時34分) |
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| 7月21日・22日には、各新聞・テレビ・などに訃報の知らせ・・懐かしい映像と共に流れていた。 | |||||||||||
| 石井好子さん訃報のお知らせから、25日が過ぎようとしています。 石井先生に頂いた、「孤独なってない」歌わせていただいています・・よ。 石井好子先生は、天国で木原美知子さんや大木康子さんと会い、毎日おはなしをしたり、お酒を飲んだり,楽しんでいらっしゃるのかしら・・・。 人は、高齢になってから亡くなると、「しょうがない・・・もう、歳だから」といいますが、 シャンソン界には、石井好子先生のような人物は,もう現れないのではと思うと・・・もう少し,お元気でいて欲しかったと思います。 石井好子先生・・・・先生の居ないシャンソン界・・・・火が消えてしまったようです・・・。清水康子 |
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| ★石井好子先生が応援・「天使の泉」 | ★これから・・少し,思い出・・・を書いてと思っています。 |
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| この作品は、四角い板に、写真や紙を貼って、上からニスを塗ってつくってあります。 | ||||||||||
| シャンソン歌手: | 清水康子・・ 私が、石井好子さんのステージを拝見していなかったら、 シャンソン歌手・清水康子の存在は無かったと思います。 |
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| 石井光次郎氏: | 私の父は、石井好子先生のお父様 当時、衆議院議長だった石井光次郎氏を尊敬しており、大好きだたのでしょう、石井氏が入るゴルフ場の会員になったり・・。良く父からお名前が出ていました。 ある日、某組織の上の方が、私をある会のパーティーに推薦していただき、 「出席させたいのですがよろしいですか?」・・・と、母に許可をもらいに来てくださいました。 母は、喜んで、「康子を出席させていただきますので」・・と、初めて私を大人のパーティーへ出席させるための準備を楽しそうにしてくれたのを今でも覚えています。 |
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| 初めての フォーマルドレス: |
私は、その時高校生・・・初めての大人のパーティー参加に胸はドキドキ 母が私を連れて、三越デパートへ。 ドレス生地はグリーン色の薔薇の花の地模様のシルク布地を買い、 その足で、デザイナーの先生がいる洋裁店へ。ドレスのオーダーに行ったのを思い出します。 仮縫いを2回して出来上がってきた胸の大きく開いたグリーンのドレス。 ドレスの袖はちょうちん袖、スカート丈はミモレ丈、パニエを履いて、スカート部分は、大きくふくらませて着ます。 「とても,似合うわ・・・」と言って満足気に私を見る母の目がとてもうれしそうでした。。 |
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| 大人の社交場: | 私が、出席させていただいたパーティーに私と同い年ぐらいの3人の女の子がステージの横に集められました。 ステージ上で紹介された後に壇上から降りて席へと戻る時に・・・ 背の高いの白髪の素敵な紳士 (石井光次郎さん)が、私の肩まで垂らしカールした頭を撫でながら、 「これからは、君たちの時代ですよ・・・頑張ってね・・・」と声をかけてくださった・・・。 私は、心の中で、こんな素敵な方が、父だったらいいのに・・・と子供ながらに思ったりして・・。 |
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| 父の尊敬する人: | ・・・・そうです。 その方が、父の言葉でよく聞いていたお名前の方、石井光次郎さんである事を、お誘いくださった方からお聞きしてビックリしました。帰宅後、父に石井光次郎さんに頭をなでられて・・と夢中で報告すると、いつも,厳しい父も、とてもうれしそうに私の話を聞いていました。 |
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| はじめて大人のパーティーに参加した私・・・・お行儀よく、隣の席の方に会釈・・・? テレビや映画をあまり見ない私に、あの方が高峰三枝子さん、あの方が、宮城千賀子さん。 そして・・・今の方は?と通りすぎるおじ様を指して言ったその時に、そのおじさまは、「かわいいね・・」 と私を撫でながら・・・森繁久彌さんでした〜素敵な,ご婦人,紳士が多かったです。 |
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| 厳しい両親:私の両親は、とても厳しく・・・今でも怖かった〜事を思います。 ※暴力は有りませんが、門限は大人になっても6時。夕食時間の6時には家にいなければいけなかったのです。 自宅にいないと大きな雷が落ちます。両親のもとでは,大人になってもお話をするときは敬語でしたね・・・ (私がいい子にしなければいけない理由:これは,まだ書く事はやめにしておきますね・・。) |
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| このパーティーの一件から、少し私を父は特別に扱ってくれるようになったような気がいたします。 | |||||
| 大人になって: 石井好子さん: |
石井好子さんとの出会い 私が社会に出て、ずいぶんと年月がたった頃、石井好子さんというお名前が眼に入るようになりました。 石井好子さんのコンサートが新橋駅近くのホール開催されて、私が聞きに行った初めての日本人シャンソン歌手が歌うステージでした。そして、それから日本語で歌うシャンソンを銀巴里や蛙たちに聞きに行くようになり、私が、シャンソン歌手になって行くのです。翌年も同じホールで石井好子さんと大木康子さんのステージを拝見しました。 待ちましょう“J'attendrai”♪・・・という歌などは、学生時代、兄の部屋から聴こえてきたフランス語の歌、シャンソンであることがわかったりして・・・。結構、学生時代から身近に聞いていた音楽だと解りました。 フランス映画『終電車』(原題:Le Dernier Metro)のプログラムやレコードも兄のお部屋にありました。 |
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| 清水康子がシャンソンを好きになり、銀巴里や蛙たちで聴くようになってから、 カンツォーネ 歌手の村上進さんとお話をするようになり、歌のレッスンをしてみないかとすすめられて、後日・・記録 そして、シャンパーニュのムッシュ 訳詞家 矢田部道一(ムッシュ)氏のスカウトをうけて後日・・別のところで記録 |
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| 石井好子先生のお姿を拝見することによって、私は、父を思い出し,母を思い出していたように思います。 | |||||
| 初めてのご一緒: | シャンソンを歌い始めて数年がたった頃、 石井好子さんと清水康子,ふたりだけのライブハウスでのコンサート企画を、新宿のシャンソニエ「シャンパーニュ」のオーナーで訳詞家の故・矢田部道一(ムッシュ)かお話をいただき実現しました。後日・・記録 |
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| 優しくお声をかけてくださった石井好子さん・・・・。後日・・記録 | |||||
| お手紙: | 石井好子さんにお手紙をお出しすると、必ず,お返事を頂けました。後日・・記録 | ||||
| 呼び出し: | シャンソン歌手になった私を、石井好子事務所の秘書の方から、石井好子先生が歌を聞いてみたいとの呼出を受けました。そして、港区にある,スタジオで先生の前で2曲歌って聞いていただいたことがありました。 その時に歌ったのが「時は過ぎてゆく」と「再会」?だったように思います・・・ その後、イタリアから石井好子先生のご友人の声楽家平山美智子先生のレッスンを受けられるようにとご連絡を頂き、平山美智子先生が、来日するたびにボイストレーニングなどレッスンを受けられるお時間を頂きました。 (平山美智子氏:1924年生まれ。1940年代の東京で学び、その後渡欧。イタリアをはじめ各地のオペラ劇場で、蝶々夫人などを歌う歌手) |
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| シャンソンは,フランス語で歌わないと・・・ 私の周りの方々は、シャンソン? フランスの歌は、フランス語で歌わなければ・・と言う方が多かったのですが、日本語でも歌う「語り歌」のように聞えるシャンソン(フランスの歌)の詞の内容にに魅せられていきました。 そして、石井好子先生も日本語詞で歌われるシャンソンを普及していく事を進めていきました。 |
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| 日本語で歌う: | 石井好子先生はドイツ語やフランス語で多くの詩を歌ってらっしゃいましたが、中には,日本語の詩を入れて歌われるのでお聞きしていても楽しく、又、勉強になりました。 | ||||
| ステージ: | 石井好子さんのステージ姿は美しい。 私が好きなのは、石井好子さんのステージの出と入の美しいエレガントな動き。 とっても、お綺麗なんです。もちろん歌われているお姿も・・・・。特に歌い終わりも計算されています。 私は、ステージをご一緒させていただくチャンスを歌い始めた頃からたくさんいただきましたが、先生が楽屋へ入られてすぐに・・・「清水康子です・・よろしくお願い致します」と先生のところへご挨拶に行きます。 そんな時も、やさしく「よろしくね・・」と声をかけていただきますが、それ以上は近づきません・・・ 先生は、本番までいろいろ準備・・・。私は、諸先輩のもちろんステージ上の歌い方・出入も拝見勉強させていただきますが、,楽屋での動きも又勉強させていただきました。 意外と,楽屋での過ごし方がステージにも影響してくるんです。(私の場合だけかもしれませんが・・) |
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| 諸先輩・舞台関係者へのご挨拶 楽屋入りをした時の挨拶の仕方で,ある日、一人の歌手が先生に注意をされていました。 石井好子先生は、怒っているのではなく・・・マナーとして,注意をしていました。 「私は、あなたの名前をしらないわ・・・」と、・・・・ 「○○○○です。今日は宜しくお願い致します」。 大切なのは先ず自分の名前を申し上げてからだったのです。 そういえば、こんなことがありました。 その日も、大勢の歌手が出演するステージで、 いつものように先生のお支度の準備時間を考えながら楽屋へご挨拶に・・・。 そして「清水康子です・・よろしくお願いします」♪と申し上げた後、 ニコニコしながら「あっ!! 清水康子さん よく知っているわよ・・・よろしくね ,今日は何を歌うの・・」 などと色々なお話をさせていただくようになったのを思い出しました。 |
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| 出演者: | ある日、特別なパーティーで歌うことがきましまりた。出演者の中には、神崎愛さんもいらっしゃいました、なによりびっくりしたのが、シャンソン歌手が今日はお二人出演します。と楽屋へ入ったときに主催者に言われプログラムを拝見しましたら・・・w〜〜〜♪石井好子先生♪チョト緊張♪ 楽屋入りした石井好子先生にすぐに「清水康子です。今日は、宜しくお願い致します。」とご挨拶。 先生も、びっくりしていらしたのを今も思い出します。ご参加・列席者パティーは1000人以上の会でした。 |
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| 花束: | ある日、石井好子さんのステージへ花束を持って行った時です。 ニコニコと花束は受け取ってくださったのですが、 小さな声で、「ダメダメ、あなたは私に花束を持ってくるのは.ダメよ!・・・」????? 戸惑私に・・・「あなたは、花束を頂く側になりなさい・・・」と、口調はとても厳しかった。 一瞬の出来事で、私はぼ〜〜として自分の席に戻ったのを思い出します。 ♪自宅に帰り、「先生ありがとうございます・・・がんばりま^す♪と言いたかった〜です。」と心で思いました。 |
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| お邪魔に ならないように: |
わたくしは,石井好子先生のステージをなるべく、拝見,伺うようにしていました。 後日・・記録 |
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| パリで: | パリで・・・・後日・・記録 | ||||
| 録音: | ある日,石井好子さんがCD録音された作品の中に、 私が故・矢田部道一氏(ムッシュ)に訳詞を依頼した曲、原題はCome Giuda(ユダのように)です。 この曲は、ムッシュから詞が 題名「JUDAS]で完成し、電話をいただいたときに、 「康子ちゃん,2分で?信号待ちで出来たよ・・・」と言ってくださった作品です。 石井好子さんがあの曲(Judas),を,あの詩を・・・♪すごく嬉しかったです。 JUDAS ・・・石井好子 (CD 「私は私」〜JE SUIS COMME JE SUIS〜)の中に収録1996 JUDAS ・・・清水康子(CD 「出逢い〜再会」(Incontro〜Je N'Pourrai Jamais T'oublier)の中に収録1996 |
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| 大切な歌: | かもめ〜Les Goelands〜(作詞 薩摩忠 作曲 ルシャン・ボワイエ ) 石井好子さんがとても大切に歌われていた作品です。 ・・・私は、。2005年7月17日 (日)あるイベントで戦艦三笠(戦艦三笠内ホール)を会場にして歌うことになりました。 陸・海軍自衛官も演奏を船外でするとお聞きして。「かもめ」をプログラムの中に入れた。 歌うにあたり。この曲を歌っている石井好子先生に歌う許可を頂くためにお手紙を出させていただきました。 すぐのお返事が石井好子先生より届き、文面の中に「とてもいい歌です、頑張って歌ってくださいね・・・」と書かれていました。♪遠い海原で命を失くした水夫は 袋に入れられ さかまく波間に流される・・・ 「だからかもめを殺してはいけない なぜならかもめは死んだ水夫の 魂だから・・・・」 石井先生が歌う「かもめ」 三越劇場でお目にかかったとき「こうして歌うのよ・・・」を 石井先生が歌う仕草をして見せてくださった事を思い出されてなりません・・・今は聞けないと思うと寂しいいです・・・。 心に届く歌「かもめ」歌い上げる時のエレガントな石井先生の姿・・・思い出されます。 |
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| 孤独なってない: | 石井好子さんから清水康子に頂いた,譜面と詩(曲) シャンソン歌手として活動していた私(清水康子)が,落ち込んで歌を辞めたいと石井好子先生にお手紙を書いた時、翌日には、秘書の方が書かれた手紙と共に譜面と詩が送られてきました。 石井好子さんが、急いで清水康子さんに送るようにと指示してお出かけになったことが書かれていました。 その中には、石井好子先生が、 G,ベコーの曲「孤独なってない」の譜面とアンあんどうさんに書いていただいた詩が、はいっていました。 ★感激で、涙が溢れてきました。 この曲は、私が、フランスへ訪れていた1993年10月13日フランス,「パリ・パレデコングレ」で開催されたベコーのコンサートのフィナーレで歌われて初めて、私が聞いた思い出の曲でした。その時,丁度、石井先生もパリにいらしていて・・・想い出深い、1曲です。石井先生 これからも、大事に歌っていきます。 もし、このお手紙の一件がなければ、 シャンソン歌手清水康子はシャンソン界から消えていたかもしれませんね。 そして,こうして、小児がん征圧運動「天使の泉」も開催されていなかったかもしれません・・・。 |
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| 影でこっそり: | 後日・・記録 | ||||
| 小児がん征圧: | 石井好子先生は、私達が活動している、小児がん征圧「天使の泉」チャチティーコンサートにも、多くのご理解と応援を戴いていました。毎回、応援の言葉をよせてくださいました。又、ラジオでもお話をして下さったり。
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| 2009年パリ祭: | 2009年7月NhK「パリ祭」に、石井好子さんのステージでは、 石井好子さんがご挨拶にステージへ登場。 体調不良とお聞きしていましたが、いつものように美しい身のこなしでステージへ登場 先生のお姿がみえただけでも,私はほっとして先生のお話を聞き入っていました。 存在感のある素敵な石井好子さんです。 |
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| お父様とそっくり: | 石井好子先生が、体調をお悪くしてからは、白髪の短いヘヤースタイルに変えらました。 父君の石井光次郎さんにそっくりと感じたのは、私だけだったのでしょうか・・。 石井先生は、お父様が大好きだったとお聞きしています。父はカッコよくて紳士、自慢のお父様だったようです。 |
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| 私が子供の頃、父から当時,自民党衆院議員で衆院議長を務めていた石井光次郎さんが何かの本に掲載されていた紙面を見ながら、『石井氏のお嬢さんは、今、フランスで歌っていると聞いている、一番かわいがっているお嬢さんのようだけど、やっぱり、「いけない」と言えなかったのかな・・・・・』と言ったのを覚えています。 | |||||
| 功績: | 石井好子さんの功績を語るには、皆さまの方がよくご存知と思います。 石井好子さんがいらっしゃらなかったら,と考えると,恐ろしいくらいに・・・シャンソン界も変わっていたでしょう。 |
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| 後日・・記録 | |||||
| お世話になった方: | 石井好子さんと交流の中お世話になった方、影響を受けた方・・・・数しれない方々がいらっしゃると思います。 みなさま、お悲しみも深く日々をお過ごしと思います。 故・大木康子さんからお聞きしていた、石井好子さんとお仕事・時間を、お過ごしになっていた日々を,楽しそうに、おはなしをしてくださった事を思い出します。石井好子さんがいなくなるなんて・・・今でも,信じられません。 |
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| 石井好子先生が応援してくださっていた、小児がん征圧「天使の泉」運動 2010年9月12日(日)の墨田区での “生きる”小児がん征圧「天使の泉」vol.42 コンサートでは、 石井好子先生のドレスを着て歌わせていただきます。 もちろん石井好子先生に頂いたG、ベコーの曲「孤独なんてない」を歌います・・・。ガンバリマス・・・。 |
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| (石井好子) | |||||
| 石井光次郎: | 衆議院議長、財団法人日本体育協会(にほんたいいくきょうかい)会長などを務めた | ||||
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| 石井好子先生のドレス: | 後日・・記録 | |
| そっと,ステージの裾で: | 後日・・記録 |
| 石井好子先生のドレスを着て・・・ | |
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| 中央椿井亘さん、赤いドレスの大木康子さん,ピーコさんとピンクのドレス清水康子 | |
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| 中央 大木康子さん右 子役の奥田佳菜子さんの隣 清水康子が着ているのは 石井好子先生がニューヨークで買われたと言う茶色のドレス |
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| 石巻公演でも着て出演・・お気に入りのドレスです。 |
| 石井好子先生のドレス:特に、地方公演で日本シャンソン協会 後援を戴いているステージ公演では、 ステージ上でこのドレスは、石井好子先生のドレスなんですよ・・・と言うと皆さまからとても喜んで拍手をいただきました。 |
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| 島根県井野公演 | ドレス 普段着るお洋服、靴なども手元にあります。 大切にしなければ〜 | |||||
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| 群馬県沼田市 ホテルベラビータでの 生きる小児がん征圧「天使の泉」公演。 椿井 亘さんが退院後の初めてのステージに、 元気で歌う彼の姿を見て音響の小林さんはじめ 出演者がステージの影で涙を浮かべて 彼の歌を聞いていたのを思い出します。 |
京都市 生きる小児がん征圧「天使の泉」のステージです。 (特別に企画したもので、忘れられないステージです) 普段は、大きな会場で開催する「天使の泉」 この企画は、いつも京都から清水康子を応援ステージにときてくださっていた お客様Mさんから、お医者様に 「余命・・・何ヶ月と言われている、康子さんの天使の泉を京都でもしたい・・: と話されたのをきっかけに小さなMさんのサロンを会場に来場者もMさんの 普段のお仲間ご年配の方々のテメのステージでした。 |
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| 石井好子先生は、岸洋子さんのことを思い出していたのでしょうか・・ いつも、椿井 亘さんを見かけると「大丈夫・・」 そして、私を見かけると・・・椿井 亘さん元気・・と心配をしてくださっていました。 |
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